こころん

旧 りんごの小部屋

謹賀新年

年末は深夜に放映していた「聯合艦隊司令長官 山本五十六」を見ました。

 

「撤退」→「転進」の言い換えのような現実を直視しない姿勢。

老害によって未来を担う若者がどんどん失われる現象。

今の日本社会・会社がそれらと何ら変わらなくて悲しくなります。

例えば東芝の粉飾を「不適切な会計処理」と言い張るように。

人手が足りないと言いながら人をぼろ雑巾のように使い捨てるように。

太平洋戦争で亡くなった方々に託された未来はこんなでいいのか・・・。

 

歴史の授業では戦前と戦後の「切断」が強調されます。

戦前は暗黒時代だった、好戦的な軍部によるファッショ政権だった。

戦後日本は生まれ変わって自由で民主的な明るい時代になりました、と。

でも実際には戦前と戦後は「連続」しています。

責任を取るべき支配層がそのまま温存された。

戦争を煽った新聞が戦後「アメリカ民主主義万歳」と叫んだように、

支配層はアメリカの反共政策に都合よく利用されて生命を永らえた結果、

真摯に己を見つめ直し構造改革をする機会を失ったまま現在に至ります。

 

会社では若者がどんどん病んで倒れていきます。

「最近の若者はだらしない」と偉い老害達は本当に思っている。

南方の凄惨な壊滅戦を三田の地下壕から眺めていた大本営と同じ。

心ある人は「このままではいけない」と思っていますが、

それを口にすることはできません。

アメリカの国力に叶わない以上早期講和をという筋論が通らないのと同じで。

 

目標に対する最短コースの手が打てない。

 

このコストは膨大です。

そこには様々な「政治的配慮」「大人の判断」が働いています。

確かに社会も会社も清濁併せ呑む必要があり、政治的配慮は必要です。

でもそれがあまりにも幅を利かせすぎている。

みんなが「おかしい」と感じていながら誤った結論に突き進む、

これほど愚かなことはないと歴史は教えてくれているのにね。

 

きっとこのままでは年金も破綻するでしょう。

ミッドウェー海戦の大敗北を「我が軍の損害軽微」と言う方式で

支給年齢を75歳にして「破綻していない」と言いながら。

 

破綻、といえば政府債務のGDP対比が昭和19年の204%を突破したようです。

日銀を初めとする国内で大半を消費している現時点では心配ないかもしれない。

でもそれが将来、300%、500%、1000%になってもそうなのか。

学者も官僚も誰も分からない「限界点」は必ずあると思います。

国債や円の信用を支えているのは日銀の紙幣印刷能力でも政府の徴税力でもない。

「納期は守る」「期日には支払う」という国民1人1人の勤勉さが支えています。

そんな勤勉な人間が報われないのも昔から変わらない。

首都圏では毎日のように電車に飛び込んで人が死んでいく。

自殺する人は自業自得な無能ばかりだと言い切れるだろうか。。。

 

明るい将来なんて描けないんです。

それなのに「一億層活躍」とか寝言言ってる人間が国のトップ。

これが「撤退」を「転進」と言い換えるのと何が違うのでしょうね。