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こころん

旧 りんごの小部屋

法律のくそ食らえ

これでも難しい法律試験の受験生なので

法律のくそ食らえなんて言えないんですが。

今回の震災被害者への賠償。

原賠法には「巨大災害免責規定」があるし

一般原則の不法行為責任を追及したって

相当因果関係がある被害額の算定すら難しく

因果関係の立証はそれ以上に困難。

わが国の国賠・公害訴訟の歴史を見れば

訴訟に及べば膨大な金と時間を費やしても

報われることなどないのは明らか。

要するに「法律」で被害者は救えない。

だからゴニョゴニョと法廷外の和解なり

第三者委なりで政治決着をつけるしかないのです。

政治決着とはいわば法の敗北ですよ。

法には問題解決力がないと言っているに等しい。

免責規定といえば、

手術をしたので保険請求しようとした、

或いは洗濯機が壊れたから修理請求しようとした、

でも約款の免責規定に該当して請求できなかったこと

多くの人があると思います。

僕らはその規定・法律を知らなくても

「その当時の法律に書いてあれば」拘束されます。

(「事後の法律」に拘束されるよりはマシだけど)

相手が了知・納得してない規定でも

相手を拘束できるのが法律を使う旨味です。

契約書なり六法全書なりのどこかにちっちゃくでも

「書いてあれば」たとえ知らなくても相手を拘束する。

契約は当事者の意思の合致なんだから

「知らなかった」のなら意思主義の観点で見れば

契約が成立してない、理屈ではそうかもしれない。

でも最初から弱い立場とか選択の余地がない立場で

たとえ契約内容に100%納得してなくても

契約せざるを得ない状況にあったとしたら

僕らはその契約の後で揉め事が起きたとき

「契約書にこう書いてあるじゃないか」と

言われたとき泣き寝入りすることが殆どです。

同じように施行される法律は

国民の代表たる国会が定めて

六法全書に書かれているわけなので

法の拘束を受ける国民は

その内容に納得してなくても

その拘束を否定する選択肢はないです。

「契約」じゃないから"意思の合致"とは仕組みが異なり

間接民主制度の仕組みであるがゆえなんだけれど、

やはり法律施行の後で揉め事が起きたとき

「条文にこう書いてあるじゃないか」と言われたら

いくら法に不備・不当があろうと

泣き寝入りさせられてしまいます。

その隙間を埋めるのが「法解釈」です。

が、解釈が過ぎればそれはもはや「法」でないです。

最初から結論ありきで法解釈するならば、

そもそも法律なんて何のためにあるのか。

相手が知ろうが知るまいがこっそり決めれば

相手を「泣き寝入り」させることができる。

『こっそり決めて服従させる』

それが法律の唯一の存在理由なのです。

強者を拘束し以って弱者を守るという

立憲主義的な輝かしい歴史は今では無意味。

憲法からして「プログラム規定」で裁判規範性を失うとか

屁理屈をこねて違憲立法審査を極力回避するとか

国家を拘束し以って国民を守っていません。

憲法が将来TPP関係で成立するだろう法令の

 違憲審査をしてくれるか見物です)

その下に続く法律群は言わずもがなですね。

法律を齧る者として実に空しい気分です。

この震災に関する賠償問題。

「法律は弱い人を救えない」現実を

現在進行形で見せつけられています。

それでも毎日一つ一つ条文・判例を覚える日々。

あ~、馬鹿馬鹿しいなぁ。