こころん

旧 りんごの小部屋

パンのみで生きるに非ず

分別を弁えたいい大人が
年老いて神仏に嵌るのはよくあります。

酸いも甘いもかみわけて
ゼニカネの大事さも怖さも知って
カネにも命にも限界があり
叶わぬこと、諦めることも知って

そういう過酷な現実に心身が耐えられない。
理から心へ、そんな感じでしょうか。

昔はそんな「堕ちていく」大人たちを
笑っていました。
でも四十路になった今、
それがとても分かる気がします。

夏目漱石の「草枕」の有名な一節。
智に働けば角が立つ。情に棹させば流される。意地を通せば窮屈だ。とかくに人の世は住みにくい。
は真理だと思います。
とかくこの世は住みにくい。
そしてその有名な一節の少し後ろに続く一節。
人の世を作ったものは神でもなければ鬼でもない。やはり向う三軒両隣りにちらちらするただの人である。ただの人が作った人の世が住みにくいからとて、越す国はあるまい。あれば人でなしの国へ行くばかりだ。人でなしの国は人の世よりもなお住みにくかろう。
これこそ真理だと感じます。

生きにくい世の中で
つい神仏に委ねたくなるけれど
やっぱり神仏なんかいないという現実に
僕は今後も耐えられるのだろうか。

もし精神世界があるというなら
それは神仏の世界じゃなく
僕自身の中にある魂だと思います。

生きることは無数の選択・損得勘定の連続。
その背後にある考え方の「ものさし」。
それが魂だと定義すれば、
僕の魂は随分うす汚れたものです。
まさしく自分勝手で醜い。
そんな魂が紡ぐ人生だから
自業自得で辛いばかりなんだろう。

でもその魂を良くするも悪くするも自分自身。
神仏や誰か有難いヒトに委ねてはいけない。
そう思っています。

辛いけど、
みっともなくて嫌になるけど、
死にたくなるけど、
引き受けて生きるしかない。

誰かに委ねたら、
そこで僕の人生は終わってしまう。

そう思うんです。
まだ、今のところは・・・。