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こころん

旧 りんごの小部屋

神などいない

教皇「答えはわからないが、神が共に」 7歳の被災少女に回答 - キリスト教インターネット新聞クリスチャントゥデイ
 「我々は答えを持っていませんが、罪なきキリストがあなた方と同じく苦しまれたということは知っています。イエスの生涯を通して来られた真実なる神は我々と共にいるのです」と答え、「悲しみの中にあっても、たとえすべての答えを知らないとしても、神は我々の側におられ、我々を助けてくださいます」と励ました。

分からないけど神は側にいて助けてくれる・・・
下手なこと言わずに正直に「分からない」と言ったのは流石です。

「神は存在するか」という質問は「神」と「存在する」の厳密な定義を
質問者・回答者間で共有できないから質問として成立しません。
それでも僕は思います。「神などいない」と。

禍福はあざなえる縄の如しとか塞翁が馬などと言われるように
幸も不幸も因果関係を超えたところからは理不尽にやってくる。
頑張れば報われることもあれば報われないこともある。

そこで「神」の役割といえば、たとえば理不尽な不幸の中にいて、
理屈で考えれば絶望的だけど、それでも理由は分からないけど
とにかく情況が好転するという"希望"をもっていいんだ、と信じる
ツール』としてでしょう。

来世とか転生とか救世主とかそんな『全知全能なる神』みたく
大げさなもんじゃなくて、
故郷のお母さんがくれたお守りみたいなもんです。
別に特定の地域に生きていた特定のヒトの形をしてる必要なんかない。
身の回りにある樹木でも河川でも蛙でもお札でもあるいはご先祖でも、
所詮『ツール』なので心のよりどころになれば何でもいいんですよ。
だから「全知全能なる神」がいようがいまいがそんなのどうでもいい。
それが日本人の宗教観に近いと思います。
やはり一神教には抵抗がありますね、僕は。