こころん

旧 りんごの小部屋

今を生きる

不惑の歳です。

40歳の平均余命は約40年ですから折り返し地点。
まして身体が弱い自分は折り返しを確実に過ぎているでしょう。

その割には「明日から本気出す」状態であまりに未熟。
「これから」あれやってこれやって・・・などと考えてますが思えばアレもコレも実現する時間はさしてないだろうな。
そういえば死を目前にした重症患者の多くは自身が思っている死期よりも先に意識が鈍るそうです。

最愛のハムスターじろうは死にました。
そしてじろうは物体になり土に還りました。
意識を生み出している脳が朽ち果てているんですから本人は「死後」を認識できよう筈もない。
もちろん人間にだけ死後の世界があるはずがなく、ハムスターや一瞬で叩き潰された蚊と同じように死んだらただ「無くなる」だけです。

意識がなくなる睡眠や麻酔は「死」に近い状態です。
僕らは目覚めたときに「それまで寝ていたんだ」ということに気がつきますが、死は二度と目覚めません。
ということは死んだら「それまで生きていたんだ」という認識を持つこともなく一切が無くなります。

この震撼すべき事実から逃れることが宗教の大きな存在意義の一つでしょう。
死後に天国だろうと地獄だろうと「認識しうる世界」があると教えて。
地球の歴史は46億年、人類の歴史は数千万年。
でも個人の歴史はその中の数十年。
当人にとっては誕生前の時間も死後の時間も認識しえないから無意味です。
なんという「つかの間」の生!

歴史は電光掲示板を一回だけ流れる文字が描くようなものです。
一個一個の電球はごく短い時間を光る。
全体として文字が流れていくけど役目を終えた電球は二度と光ることがありません。

その一回だけ流れる文字のことを「今」と言います。
静止している僕らにとってその「今」は光速で流れていきます。
(光速で進む光はエネルギーの全てを運動成分に配分するからその時間は止まっています)
僕らは今を生きている。
過去も未来も関係ないんです。
「今」しかない。

そう考えるととても時間が惜しくなります。
グダグダ悩むことが馬鹿馬鹿しくなります。
死んだら救われるからなんて問題を棚上げにしている場合じゃないのです。

タナトフォビアに襲われそうになるけど、その間にも命の砂時計は落ち続けています。
それなら前向きに生きようじゃないか。
そうでなきゃ命が悲しすぎる、無意味すぎる。

そうだろう?じろう。
僕の記憶の中のじろう・・・。
・・・そんなこといっても月曜の朝は死にたくなるんだが(苦笑)