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こころん

旧 りんごの小部屋

雑感「メイド・イン・ジャパンの命運」

NHKスペシャル|メイド・イン・ジャパンの命運

いくつか感想を列挙。
  • かつて日本がアメリカを追い抜いたように
    中国勢に抜かれたというだけではない。
    単純なものづくりで日本に抜かれたアメリカが
    ソフトウェアという新たなものづくりのフィールドを
    先駆していたのは見事な戦略だ。
    日本にはこうした戦略が足りなかったのか。

  • かつて日本が朝から晩まで創意工夫を重ねて
    取り組んだ「必死さ」が大切だったんだろう。
    中国勢は生き残りをかけて恐ろしく必死である。
    いかに顧客満足を得るか、
    いかに売っていくか、
    こんなのはどうだあんなのはどうだと、
    とにかく必死さが伝わってくる。
    日本人も負けず必死なのに
    果てしない消耗戦になってしまって
    せっかくの必死さが結果に結びつかない。

  • 総資産を圧縮して効率良く儲けよう主義に
    急激にかじを切った日本で
    東芝深谷工場の人たちの情熱は胸を打つ。
    いきおい工場は製造原価しか生まない
    コストセンターだから「コストダウン」が至上命題と言われがち
    だが、同時に価値の源泉なのだ。
    固定費削減≒付加価値減少という会計の皮肉を感じた。

  • しかしその工場では付加価値の源泉ともいうべき
    「ソフトウェア」を作れない。
    他者が作ったソフトウェアを待って
    そのバグ出しという役割になっているからこそ
    極端に言えば日本でやる必要がないともいえる。
    ならばそのソフトウェアづくりは
    新たなものづくりとして日本の基幹たりえているのだろうか。
    その担い手達はIT土方状態でひどい状況になっている。
    事業仕分けに見られるように
    国を挙げて力を入れている風でもない。
    ひとりひとりは頑張っていても
    司令塔が方向性を打ち出してないから
    各個撃破される様子は
    太平洋戦争時と何ら変わっていないのか。

  • ITにも製造にも携わっていない
    単なる雑用係の自分において学べたことは
    「徹底して後工程のために必死になることの大事さ」だ。
    後工程とは時に社内の人間であり時に社外の顧客である。
    「俺はこれだけやったぞ」と
    自分の仕事のために頑張るのではない、
    「あなたのために私はこれだけ頑張ります」と
    自分の後工程のために頑張るのだ。
    必死に徹底的に。
    突き詰めればそれすなわち謙虚な心。
    日本が中国勢に勝てるとすれば
    「人間のソフトウェア」として日本人が昔得意としてきた
    謙虚な心なのではないか。
    近年は自己責任とか成果主義とか法令遵守とか
    利己的に自分の領域だけを守らざるをえない世の中だが、
    ご近所さんを大事にした"利他"を
    思いだしていいかもしれない。
    無論ステレオタイプの虚礼や慣習といった
    「カタチ」には意味がない。
    重要なのは「ココロ」だ。
    「実るほど頭を垂れる稲穂かな」と
    周囲を立てることで全体の成果を上げる。
    ヒトも目に見えないソフトウェアに
    復活の鍵があるのだ。
    果たして頭を垂れたヒトが評価される仕組みを
    作ることができるのだろうか。

  • それなのにヒトのソフトウェアであるココロを病んで
    ダウンするヒトが後を絶たない。
    これは重大な日本の危機だ。
    モノを作り直す時間より
    ソフトを作り直す時間のほうが
    遥かに長くかかり、かつ難しい。
    今30代の自分には正直「絶望」に満ちている。
    それでもなんとか自分を鼓舞して
    ギリギリ頑張っているが、
    ガダルカナル戦のような消耗戦である。
    ものづくりにおいては雑巾を絞るようにコストダウンを図るが、
    ココロにおいては迷ったり無駄なことを積み重ねる中で
    最適解が見つかるから
    コストダウンは図るべきではない。
    固定費削減が付加価値減少を招くのと似ている。

  • ならばココロの消耗を招かずに頑張るにはどうしたらいいのか。
    希望ややりがいを感じる職場とはどんな職場だろうか。
    しかも多少間違えても儲かった右肩上がりの昔とは違って、
    厳しくのりしろのないこの現代で。