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こころん

旧 りんごの小部屋

客観説の整理メモ

日記

 

事例 出捐者・受益者 名義人 内部関係 対外的効力
記名式定期預金 帰属   着服横領意図など特段の事情なし 民478、免責約款で名義人債権者保護
X代理店A   帰属 受任者が受領物の所有権取得
代理意思認めず
委任者Xは受け取って初めて所有権取得
弁護士預かり金   帰属 受任者が前払費用の所有権取得 出捐者の債権者は差押不可
従業員の保険金受領目的で会社名義預金 帰属   開設目的、開設後の入金原資 名義人の債権者は差押不可
マンション管理組合の預金 帰属   管理会社は管理組合の代理人、執行者 名義人たる管理会社の破産財団を組成しない
県からの建設前払金受領口座 帰属   委託者による信託が成立 受託者の責任財産を構成しない
破産した証券会社の買付株式 帰属   問屋が委託者の計算で取得した 問屋の債権者は責任財産として期待不可
誤振込み   帰属 誤振込の原因関係捕捉は困難 とはいえ誤振込を知りつつ被仕向行の相殺はやりすぎ
振込め詐欺 帰属   名義人は行方不明で借名名義 代位の無資力要件緩和で被害者保護

 

出捐者に帰属=客観説

名義人に帰属=契約説

こういう切り分けが無理筋なのでしょうね。

出捐者(あるいは実質的受益者)と名義人が違う場合、

「帰属主体は内部関係による」という言わば「内部関係説」が妥当と考えます。

問題は第三者に公示されていない「内部関係」に対抗力があるか。

 

内部関係に対抗力がある場合、被害を受ける第三者は表見法理で救おうとします。

その勝ち負けの基準は何なのでしょう。

口座開設目的・その後の管理・入金原資等の「総合的考慮」・・・。

第三者との利益考量というだけでは明確な判断基準たり得ないですね。

 

 

 

そして、実体(民法)上の預金帰属と全く別の問題としてあるのが名義預金問題。

預金契約の帰属問題では上記のような議論があるけれど、

それとは別に相続税法上どう考えるかというと客観説の立場が強固です。

 

親が子供の名義で預金を作る。

内部関係は「法定代理権」と言えます。

親が子供の代理人ですから代理人の行為は本人たる子に帰属します。

だから預金は子ども自身に帰属します。

しかし税法は財産の帰属を「実質」で考えるので内部関係を課税庁に対抗できません。

その親が死んだとき子供名義の預金は名義預金として相続財産を構成します。

原資が親の稼いだ資金であり、子供への贈与契約を立証できないからです。

それが「実体上」そうなのか「相続税の計算上」そうなのか分かりません。

 

それなら親の生前に子供が預金を下ろしに行ったらどうなるのでしょう。

特に子供が成人したら制限行為能力者でなくなり名実ともに預金者として振舞います。

生前は子供の預金、でも親が死んだら親の預金でした、そんな解釈で良いのでしょうか。

 

 

実体上の預金帰属問題と相続税法上の名義預金問題。

この2つの問題が話を複雑にしています。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

法務省から不合格通知が来た

日記

点数は自己採点どおりでした。

午前択一は前年と同じで基準点まであと1問。

午後択一は基準点超えでした。

・・・というところまでは去年と全く同じ。

違うのは去年は試験直後に勉強を再開し

この時期には民法を1周していたと言うことです。

それなのに今年は試験後にモチベーションが落ち

体調を崩し今なお風邪様症状が続いてるのです。

 

この試験勉強は僕なりに相当な負荷になっています。

仕事はきつくなる一方で職場ではプレイングマネジャー的な立場です。

毎日仕事に穴を開けないだけで精一杯。

加えて試験勉強・・・だから試験後から虚脱状態なのです。

 

仕事のみならず親の高齢化に伴い家のことも担わねばなりません。

これで妻子がいたらとても負える負荷ではないと感じます。

僕はやっぱり結婚できないんだろうかと悲しくなります。

 

それでも、

それでも、

諦めるなと心のどこかで声がします。

 

登記や民法会社法の知識は職場で僕を、

そして僕の部下を助けてくれているのです。

おかげで様々なトラブルを切り抜けてきました。

つい最近も職場の誰もが思いつかなかった執行供託をしました。

(登記申請書より供託書を先に書こうとは思わなかった)

また取引先の複雑な組織再編(会社分割+株式移転)に対し的確に対応できました。

 

四十路も半ばに差し掛かり心身が衰える中で、

日々研鑽しないとどんどん落伍してゆく気がします。

実は司法書士試験の学習範囲など全然狭くて、

仕事で必要とする知識は遥かに広大な領域に広がっています。

正直この試験なんか早く突破してより自由な立場で学びたい。

 

そう思っているんですが、

疲れてしまってね・・・。

 

まだ、頑張れるのかな・・・。

疲れる毎日

日記

・勉強再開

大金払って来年向けの講座を取りました。

すっかり資格学校のカモだけど

続けることにしました。

 

・シルバーウィーク

生まれて初めてですが親父と旅に出ます。

親父は八十代で体力的に最初で最後かもしれない。

親父もとても楽しみにしてます。

思い出作り、そうなって欲しくはないけど

でも思い出作ってきます。

 

・消費増税

本当に止めてほしい。

法人税下げ企業を優遇し

累進課税を緩和し高所得層を優遇すれば

トリクルダウンで「下層民」も潤う、

昨今の状況を鑑みるとどうやらそれは無いですね。

搾取が一方的に加速するのが資本主義の本質。

「我々は99%だ」は日本にも該当するようです。

 

『為替は大蔵省の専管事項』と他省庁が口出しできないまま

景気・経済への大きな影響を顧慮しないで勝手に握られた「プラザ合意」。

その後日本経済は大きなダメージを受けました。

『徴税は財務省の専管事項』でまた日本経済はボロボロにされていくんだろうか。

これだけ搾取されてるのに、

税金は国家運営の為に『信託』されているだけなのに

受託者を監督できない僕ら。

 

そういえば去年親父は医療費控除の計算ミスで数万円追徴されました。

あの領収書の束を税務署員は電卓叩いたのですよね。

取られるときはそんなに細かくチェックされる一方、

僕らは「使い道」を細かくチェックできない・・・。

青色申告ですらBS、PL作ってるにも係らず、

国家予算は連結決算はおろか複式簿記すら導入してないんだもの。

ひどい話です。

歴史の授業でよく登場する「腐敗した王朝の末期」みたいな様相ですね。

 

・安保法制

「これで当たり前の国になる」vs「戦争に巻き込まれる」

正直不勉強でよく分かりません。

でも色々と戦後史の本を読んで学んだことは、

「アメリカは自国の都合で動いている」ということ。

日本が友好国だから軍事同盟を結ぶのではなく

自国の利益に叶う範囲でそうしているだけ。

その当たり前の事実から目を背けちゃいけない。

いやアメリカだけじゃなく国家とはそうしたものであるはずで

(日本以外は)利己的に外交を展開するのが普通。

国際社会の中に「真の友人」なんていないもの。

手を結ぶべき部分は結ぶけど主張すべき部分は主張する、

そうできたらいいのになぁ。

でも「物言う」ためには「力」がないとだめ。

これまでの日本は「カネの力(ATM力)」がその力だったけど、

今後は何が力になるんだろう。

カネがなくなったら「兵隊=命」を差し出せってことなんだろうか・・・。

 

それはさておき安保論議を通じて「憲法学者」無用論を再認識してます。

もともと憲法学ほど無意味な法学は無いと法学部時代から思ってました。

日本国憲法」を絶対視し違憲か合憲かを議論するだけ。

まずあるものを無批判に絶対視する点で学問として死んでます。

しかも違憲、合憲を議論するだけであるべき姿を呈示しない。

あるべき安全保障を呈示できる憲法学者はいないんです。

統治行為論』で「法の支配」を実質的に殺しておいて

今更この憲法に何の意味があるんですかね・・・。

おっと口が滑ったよ。

戦後史を読んでる

日記

アウストラロピテクスの脳の容積から始まった歴史の授業は

第二次大戦前後あたりは駆け足で試験にも出ません。

 

TVは馬鹿な娯楽番組ばかりだし新聞も読むに値しません。

僕らの合わせ鏡たる政治家の愚鈍さに呆然としてしまいます。

僕らは朝から晩まで懸命に働いているのに豊かにならず

生み出した「価値」はどこかに吸い込まれているようです。

 

福島原発事故は日本史に残る最悪の災厄なのに

責任の所在は未だ不明、現在の状況も不明。

放射能の影響は口にすると非国民という空気。

 

 

「何かおかしい」

 

ずっとそう思っていました。

色々考えると戦後史にその鍵があるような気がして

ここ1年位、関連する本を読んでいます。

 

右とか左とか反米とか反日とか陰謀論とか

そういう漠としたイメージに侵されないよう

淡々と事象を追いかけるよう注意しながら。

 

まだこれといった集約された知見には至ってないけれど、

色々と「常識」を疑っていかねばならないようです。

 

もう少し本を読んでみます。

またしても足きり・・・

日記

法務省から基準点の発表がありました。

午前の部 満点105点中90点(30問正解)

午後の部 満点105点中72点(24問正解)

29-25ですからまたしても午前で足きりでした。

1回目受験 25-19 (基準点28-27)

2回目受験 25-26 (基準点26-24)

今年     29-25 (基準点30-24)

正直今年初めて基準点超えるかなと期待してました。

今後は記述式に本腰入れよう、なんて・・・。

でもまたしても午前で足きり。

うすうす感づいてはいましたが、頭を殴られたような衝撃です。

しかも受かるには基準点+18点前後必要なんです。

合格者は択一で31-30とって記述は守るという所でしょう。

これから何をどうすればいいのかと呆然としています。

過去問だって膨大すぎて回せてないのが実情・・・。

どれほど網羅したテキスト使ってもこなしきれない・・・。

去年だってあんなに頑張ったけど、

「午前は足きり、午後はかろうじて基準点」というのが僕の実力なんです。

正直もう撤退しようか悩んでいます。

勉強は仕事に直結していて非常に役立ってはいます。

でも過去に投下した時間もお金も膨大です。

投資なら「損切り」の時期かもしれません。

 

もう少し考えてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

本試験終わりました[1年ぶり3回目]

日記

本試験の直前は月末月初でボロボロ。

そして本試験翌日から普通に仕事でした。

できれば直前直後は有給欲しかったところですね。

 

本試験択一は一次29、二次25でした。

 

一次は相当易しくて基準点30点か、なんて声もある模様。

受験しながら「もしや今年行けるかも」と夢を見させてくれました。

内訳は民法で2失点、会社法商法で4失点。

民法はまさかの「選択債権」の問題もクリアし

憲法・刑法は満点という大健闘だったのに、

苦手の会社法商法が散々でした。

 

そして今回は二次がひどい・・・。

昨年は26点で基準点越えしたのに1点下がってしまいました。

しかも内容がひどい。

民訴で1失点は良かったものの、

満点が当然の供託法で1失点、不登法で4失点、商登法で4失点。

心臓科目の両登記法で8失点では戦う土俵にすら乗ってません。

会社法・商登法が弱いと言うことは条文・暗記が弱いということ。

絶対的な暗記量の不足がまたしても露呈した形です。

 

今回含め受験3回の成績推移はこんな感じです。

25-19

25-26

29-25

一進一退ですね。

内心、今年こそ択一突破と思っていたのです。

色々なものを犠牲にして相当頑張って勉強しているはずなんですが・・・。

今回はちょっとがっかりで、

正直試験から撤退しようかななんて思いが去来しています。

コスパ最悪資格ということがバレて受験者数も順調に減ってるしね。

何より資金的にきついというのもあります。

 

記述式はもうちんぷんかんぷんでした。

記述の勉強が追いついてないんです。

まだ不登法の方が事実関係は分かり易かったでしょうね。

商登法はもう論外。兼任禁止だけ気づきましたが。

 

今年択一突破できなかったら諦めようか。

まだ頭の中は白紙です。

とりあえず今は何もしません、できません。

 

通勤鞄の中にテキストが入ってないって何て軽いんだろう!

何て楽なんだろう!

いつも講義音声を聞いてたのに、昨日今日は音楽を聞いて通勤です。

この幸せ!

 

ホント来年どうしようかなぁ・・・。

 

受験票がきた

日記

会場は去年と同じ。

なんか去年より力が落ちてる気がする。

直前期の3~5月が仕事の最も多忙な時期でね・・・。

でも今年は択一突破を目指しています。

追い込みがんばります。

死ぬのは怖いよ

日記

タナトフォビアなんて大げさなもんじゃないけれど

時折死ぬのが怖くて心臓がキューっとなります。

 

社会人になってから二十余年。

同じ机で仕事をした先輩がもう3人亡くなっています。

死因は様々ですがその中のお1人はガン死です。

 

さぞや苦しかったろう。

「何で俺がこんな目に」と悔しい思いをしたろう。

 

その先輩が病床に臥せっているとき話をする機会がありました。

毎年健康診断をしていたのにガンが発覚した時もう末期だった。

優しくて仕事のできる、将来を嘱望された方でした。

最初に試した抗がん剤は効かなかったので

次の抗がん剤を試すんだと仰っていた。

 

僕が生きてその方が亡くなった、それは「たまたま」です。

その方に何か落ち度があったわけでも

僕に何か優れたところがあったわけでもない。

 

突然に生命の期限を突きつけられる・・・。

僕だったらどうするだろう。

ある日「余命一年です」なんて言われたら。

死にたくない。

死にたくないよ。

 

でも絶対死ぬんです。

しかも妻子もいないので1人孤独に死ぬ。

 

宗教における天国や地獄なんて死の恐怖を紛らわす人間の知恵。

「死後」はなくて「消滅」するんです。

自分が消滅することの怖さたるや底知れないものがあります。

 

抗いようもなく容赦ないその今わの際に僕は何を思うんだろう。

死にたくないよって思いながら消えていくんだろうな。

 

ならば逆算して生きている今、なにをするべきか。

後悔のないようにやりたいことやる、そうなんだろうけど。

 

やりたいこと・・・ゆっくり休みたいよ(苦笑)

しょうこりもなく微分の話

日記

曲線に接線を引くときこんな絵がよく出ます。

B点とA点を結ぶ直線を考えてB点をA点に近づけていきます。

直線Tの傾きはB点とA点を結んだ線の傾き。

A(a,f(a))、B(b,f(b))なら[f(b)-f(a)]÷(b-a) [式1]

B点が限りなくA点に近づいていくとき

A点における接線の傾きは微分を使えばf'(a)になります。

限りなく近づくけど一致しない。

一致しないから[式1]の分母の(b-a)はゼロにならず有限値がでます。

B点が直線に乗ってA点に近づいていくとき、

A点を通る直前と通り過ぎた直後まで距離があるので値がでる。

B点がA点とぴたり重なったときだけ[式1]は 0/0 になってしまう。

A点にB点が近づいてく時、傾きは限りなくf'(a)に近づいていくし、

B点がA点を通り過ぎると、傾きはf'(a)から徐々に離れていく。

こうなったらA点における傾きはf'(a)だと思って良いよね!

傾きの定義の式[式1]ではA点の傾きは計算できない、

でも直前、直後の値の変化を見ればA点の傾きはf'(a)の筈だよ!

数学的にはまったく厳密じゃないけれど

微分」とは、「限りなく近づく」とはそんな感じだと思いました。

 

y = 1/2 x^2 という2次関数のグラフを考える。

A点(1,0.5)にB点(x,f(x))が近づいていく。

A点とB点を結ぶ直線の傾きを考えよう。

A(1,0.5)、B(x,f(x))なら[f(x)-0.5)]÷(x-1) [式2]

B点がA点に近づいていくとき式2の分母(x-1)は0にならないから

[式2]は 0/0 にならず有限値がでる。

B点が(3,4.5)→(2,2)→(1.5,1,125)とA点に近づいていくと

 [式2]の値は 2 → 1.5 → 1.25 と1に近づいていく。

B点が(0.5,0.125)→(0.0)→(-1,0.5)とA点から遠ざかっていくと

 [式2]の値は 0.75 → 0.5 → 0 と1から遠ざかっていく。

もっと細かく刻んでいけば1を挟んでびっしり値が決まっていくだろう。

ぴたりA点の時だけは[式2]は 0/0 で定義できない。

でも1を挟んでびっしり値が決まっているなら

もうA点における値は1と言っていいだろう。

 

xがある極限値tを挟んで推移するとき、

f(x) = y の値も対応する極限値f'(t)を挟んで推移していく。

導関数が滑らかに推移するなら、そのtにおける値はf'(t)でいいよね。

それが0/0で定義不能になった極限に値を与える考え方なのだろう。

 

0.999…は1に限りなく近づいていく。

y = (1-1/10^x) という関数を考える。

x = 1→2→3→4→ と変化していくと

f(x) = y = 0.9→0.99→0.999→0.9999→ と変化していく。

ここで x が無限大になったとする。

無限大なんて値は定義できないからf(無限大)も分からない。

そこで対応する f(x) = y の値の変化から推測しよう。

y = 0.9999999… と1に近づいていき、びっしり値が1まで埋まっていく。

そうなると 「x=無限大になった」時のyの値、つまりf(無限大) =1 として良いだろう。

数式で書くと lim[x→∞]{y = (1-1/10^x)} = 1。

 

数直線の白丸みたいなものだ。

上記の数直線でx = 3 は定義できない。

だからf(3)も直接は定義できない。

でも3を挟んでxを動かしたとき、

これに対応するf(3)が「何かの値」を挟んでびっしり埋まったとすると

その「何かの値」はイコールf(3)の値なんだと。

 

狐につままれたようだけど実数の稠密性ってこんな議論だと思う。

ただxが無限大の時は「前後から」挟めないからちょっとイマイチだね。

導関数f'(x)が「滑らかに推移する」のが前提だしね・・・。

 

 

 

0.999…=1

日記

数学は好きだったけど、学生時代微分で躓いて文系になりました。

それ以降、心にずっとそのモヤモヤが残っているようで、

今更何の役にも立たないのに微分に関する本を読むのが

社会人になってからのライフワークの1つになっています。

 

学生時代に躓いた所は「極限」の考え方です。

極限値には限りなく近づくけれど決して到達しない。

y = x^2(xの2乗) をxで微分するとき差分Δにおける傾きを求めます。

dy/dx = [(x + Δ)^2 - x^2] ÷ Δ =(2Δx + Δ^2)÷Δ =2x + Δ = 2x

このとき分母のΔは、0に限りなく近づくけれど「0でない」から

約分できて2x+Δになったのに、一方でΔは0とおいて答えは2x。

計算過程で Δ≠0 としていながら、

最後に Δ=0 とする二枚舌が納得いかなかったのです。

勿論学生当時は「そういうもんだ」と飲み込んで先へ進みました。

でもそれがずっと引っかかっていたのです。

 

大学に入って有名な「ε-Δ論法」を学べば解決すると思ってたけれど

御多聞に漏れず難解過ぎて挫折しました。

 

「0.999…=1」というのは数学的にあまりに自明のようです。

複数の証明があり、僕もその通りだと思います。

「…」が付くと「=」は「極限値を指す」と読み替えるのが暗黙の了解です。

0.9 + 0.09 + 0.009 + 0.0009 + …は限りなく1に近づいていく。

「限りなく1に近づいていく」を「… =1」と表現しています。

でも「1」にぴたり一致することは決してないのに

本当に値として「1」と扱っていいのだろうか・・・。

 

0.999…のキモは9無限に続いていくところです。

つまり9以外の数字がくることはないし、9で終わることもない。

だから1との差は0.000…で0以外の数字も永遠に来ない。

即ち1との差はどんな正の数より小さい無限小Δであり、

つまりΔ = 0 なんだと言い切ってしまうわけです。

 

極限の話でよく登場する切り取りの図形。

1/2 + 1/4 + 1/8 + … は無限に1に近づいていきます。

9/10 + 9/100 + 9/1000 + … も同様に1に収束します。

それでも上の図を見て思います。

収束するけど「1」に一致するには最後の1ピースが必要なのではないかと。

1 = 9/10 + 1/10 という等式を考える。

  最後の1/10を 9/100 + 1/100 と分解しよう。

1 = 9/10 + 9/100 + 1/100

  また最後の1/100を 9/1000 + 1/1000 と分解しよう。

1 = 9/10 + 9/100 + 9/1000 + 1/1000

  また最後の1/1000を 9/10000 + 1/10000 と分解しよう。

1 = 9/10 + 9/100 + 9/1000 + 9/10000 + 1/10000

こう続けていくと最後の項「 (1/10)^n 」の一つ手前までは無限に9を続けることができる。

 

つまり等式を崩さず「 1 = 」である為には

「9」が続いていくのは「最後の一つ手前まで」のはずなのです。

項数nが無限に大きな数になれば最後の一つ手前まではどんどん長くなるけど、

最後の項(1/10)^nが加わって初めてぴたり「1」になるのではなかろうか。

もし「0.999…」の「…」の部分に9以外の数字が出てこないとすると、

それでは「1」より(1/10)^nだけ少ない数になるのではなかろうか。

どうしても文系脳ではそう思ってしまうんです。

 

極限の考え方では(1/10)^nは「n→∞」のとき

限りなく0に近づいていくので「無視」しています。

最後の1ピースは無視していいというのです。

 

1 = 9/10 + 9/100 + 9/1000 + 9/10000 + 1/10000

ここまでは左右が「等式」なのに、

最後の「1/100…0」を「9/1000…0 + 1/10000…0」と無限回分解していくと

最後の余剰項「(1/10)^n」が無視される。

「無限」なのは分解する「回数」で、級数の最後は「9/1000…0」でない数なのに。

 

おそらくはここに論理の飛躍があります。

最終項を無限回分解したときに「等式」や「=」の意味が変わってしまう。

「無限」の扱いに慎重にならないといけないのです。

そう感じるのですが、うまく理解ができません。

 

最後を無視して一致する極限は「近似値」なのか「ぴたり値」なのか。

極限値=限りなく近づいていく先の値」という定義は受け入れるとして

その近づいていく実体なる「0.999…」はどんな量なんだろう。

絶対到達しない極限値との差である無限小Δは0なのか0でないのか。

 

そんな疑問を二十年以上持っています。

 

「0.999…=1」に決まっているじゃないか。

実数はみっしり詰まっていて1に「限りなく近い隣の数」なんてない、

だからそれ即ち「1」に決まっている、って話で終わりなんですが…。